
松山幸次が亡くなった。
気難しい後輩であり、また逆にとても尽くしてくれる後輩であり、そして何より、気心知れた飲み仲間であった。
デブのくせに繊細で、芝居にうるさいくせに、やれないことややりたくないことはしないというふざけた男だった。
一回疎遠になったことがある。なぜ疎んじるようになったかは覚えていない。
先の10月公演で急にそれを思い出し
「俺、お前のことが嫌いなときあってなあ」
と言ったら、
「え?え?僕何かしましたか?」
「うーん、それが、原因が思い出せないんだよなあ」
「思い出して下さいよぉ!何かしましたかあ!?」
「いや、いいじゃん、今は好きだから」
「それは、ありがとうございます…でも、僕何かしましたかあ!?」
おもろい男だ。
知り合って12年、途中3年の縁切り期間を経て縁が復活してから早6年、なんだか腐れ縁の夫婦みたいだな。
飲んだあとにステーキ食いに行ったり、俺んちで飲みなおしたり、ともかくよく飲みよく食った。
面白いことと、芝居が大好きで、「病院行け。死んだら大好きな芝居ができないぞ」と脅しても「入院させられるので嫌です!」と中々足を運ばなかった。
しっかり扱えば扱うほど、同じだけ返してくる男でもあった。
気づけば、出来る家来のようになっていた。
自分を棚に上げて俺の健康を心配したり、飲み屋で俺の酒の注文したり、酔っ払った俺を介抱したり、元嫁が残した自転車買い取ってくれたり、離婚届を出されたときも「橋沢さん、大丈夫ですか!」と家に真っ先に駆け付けてくれたのは松だった。
写真はその時のもの。やはり日付は去年の12月26日(届けを出されたその日)、額にバツつけて出迎えた俺を見て、一晩中酒を飲んでふざけてくれた。
出来る家来は違う。
あれ?違うぞ。俺は「出来る家来」が好きなんじゃないな…。
そうか。俺の身体の心配するのも、いち早く駆け付けてくるのも、芝居の話もくだらない話も、そしてウチで芝居することも、すべて松がしてくれたことだ。
なんのことはない、俺は松山幸次が大好きだったのだ。
そう思ったら、急に涙がとめどなく溢れてきて、一人声を上げて泣いた。
バカヤロウ、先ニ死ヌヤツガアルカ!だから言ったじゃねえか。
もう酒もメシもステーキも、そして大好きな芝居も出来ないだろうが。
松よ、俺はまだ当分そっちにはいかねえよ。300歳まで生きる予定だからな。
だが、俺も生き物だからいつかはそちらへ行く。
そん時はまた一緒に芝居したり遊んだりしような。
またダメ出ししてやっから、それまでゆっくりお休み。
本当に本当に楽しかったぜ。
あばよ、松!